江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。

■①仲の町の桜

 現代のテーマパークはクリスマス、ハロウィーンなど季節ごとの様々なイベントで集客を図っている。

 同様に、吉原も年間を通じて各種の行事で客寄せを図っていた。なかでも、仲の町の桜、玉菊灯籠、俄(にわか)は吉原の三大行事である。

写真を拡大 図1『あづまの花江戸絵部類』(清水晴風編)

 図1は、大門から仲の町を見たところ。大通りである仲の町は桜が満開なのがわかる。

 3月1日、植木屋が開花直前の根付きの桜を運び込み、仲の町に植えた。

 下草に山吹を添え、周囲に青竹の垣根をめぐらし、なかには雪洞(ぼんぼり)を立てる。桜の高さは、仲の町の両側に軒を連ねる引手茶屋の二階からの眺めを計算して、そろえられた。

 3月末日には、植木屋によって桜はすべて運び出される。

 当時の桜はソメイヨシノではないので、開花の期間が長い。およそ1カ月間、仲の町では花見を楽しめたわけである。

 とくに灯ともしごろ、雪洞の明かりに照らされた夜桜の下を進む花魁道中は有名で、多くの見物人が訪れた。

 浮世絵では、花魁道中はたいてい桜の季節を描いている。妖艶な花魁と満開の桜は絶妙な取り合わせだった。

 仲の町に桜を植えるのは、寛保元年(1741)に始まったとされる。