■イギリス、フランスに遅れてドイツも開発

1939年9月1日に始まったポーランド侵攻作戦“ファル・ヴァイス”に参加したIII号戦車の初期生産型であるD型。のちの生産型とは異なり、車体片側につき8個の下部転輪を備えている。乗員が被っているのはシュッツミッツと呼ばれる戦車兵用ベレーで、大戦中期以降はほとんど用いられなくなった。

 一般的に、戦車といえばドイツと思われがちだが、第一次世界大戦中に世界で初めて菱型戦車シリーズを開発し、それを実戦に投入したのはイギリスである。さらにほぼ同時期、フランスもシュナイダーCA1やサン・シャモンといった戦車(実は共に後年の突撃砲に近い)を実用化しているが、どちらも連合国であり、両国の戦車に攻められたドイツは、あわててA7V戦車を開発して実戦に投入したものの、完全に後手に回ってしまった。

 やがてドイツは第一次大戦に敗北。勝った連合国が策定した懲罰的な意味合いの強いヴェルサイユ条約により、戦車や戦闘機、潜水艦といった、強力で近代的な兵器の保有を禁止されてしまった。 

 だが不屈のドイツは、国外でこれら「ご禁制」の兵器の開発や実験を継続して技術を蓄積。戦車ももちろんそのうちのひとつであった。そして1935年のアドルフ・ヒトラーによるドイツ再軍備宣言直後には、I号戦車と、それにやや遅れてII号戦車を実用化した。

 ドイツの戦車開発と配備に際しては、第一次大戦敗戦後に戦車を保有していなかった時期が存在したことが、かえって幸いした。イギリスやフランスのように陸軍内部に同大戦時からの伝承がないため、完全に新しい概念と観点に基づいた戦車の開発が進められたからだ。

 その結果、基本的な考え方として、戦闘の中心となる「主力戦車」と、主力戦車では荷が重い敵が出現した際に応援を行う「支援戦車」を、組み合わせて運用するということが発想されたのである。

次のページ 秘匿名称の下に開発が進められたIII号戦車