纒向(まきむく)遺跡の中にある箸墓(はしはか)古墳は果たして卑弥呼の墓なのか?第2回。出土品や最新の測定法から、その謎に迫る。
 

 第1回冒頭にあげた『日本書紀』には「故大坂山石而造。則自山至于墓、人民相踵、以手遞傅而運焉」と書かれている。これは、大坂山から墓に至るまで人々が連なって手渡しで石を運んだことを表している。箸墓古墳で見つかっている石の多くは箸墓古墳周辺で採取される石であるが、大阪府柏原市の芝山で採れる板状の石も見つかっている。この石は古墳時代前期に築造された古墳の竪穴式石室に使われた石で、これが『日本書紀』に書かれている大坂山から運んだ石とすれば、芝山が大坂山となる。奈良盆地を横切るように人々が石を手渡しで運んだということだろう。

立ち入りが許されない箸墓だが
周辺調査は進んでいる

 宮内庁に管理されているため墳丘への立ち入りは禁止されている。そのため墳丘内の調査は行われていないが、周辺部において奈良県立橿原考古学研究所や地元の桜井市教育委員会によってこれまで19次にわたって調査されてきた。調査面積はいずれもそれほど広くないが、周濠や渡り堤などの周辺部の状況や、古墳築造の時期などさまざまなことを明らかにしてきた。特に1994年の第7次調査、1998年の第11次調査では墳丘に関する情報が得られた。

 第7次調査は北側にある大池の堤の改修工事のために行われたもので、前方部北裾の一部が明らかとなった。この調査で葺石や周濠状の落ち込み、盛り土による幅17mの外堤状の高まり、古墳築造時の土取りの跡など、墳丘に関連する施設が初めて視覚的に検出され、出土土器の検討から前方部が布留(ふる)0式期の築造であることが確認されるなど、非常に大きな成果が挙がった。
 

《果たして卑弥呼の墓なのか?箸墓古墳の謎 第3回へつづく》