■第二次世界大戦勃発時はドイツ全軍で100両に満たなかった

長砲身60口径5 cmKwK 39戦車砲を搭載したIII号戦車の主力戦車型の最終型となったM型とおぼしき1両。車体前面下部に補助装甲代わりの予備履帯を取り付け、上部構造物前面には増加装甲が装着され、砲塔前面には砲塔の上下左右幅いっぱいの外装式防盾を装備。さらに砲塔全周と車体側面にはシェルツェン(ドイツ語でエプロン、前掛けの意)と呼ばれる増加装甲板が取り付けられている。装甲防御力の強化に苦悩する姿を見てとることができるワンカット。

 1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻し、ここに第二次世界大戦が勃発した。この戦役では、まだIII号戦車の配備数はドイツ全軍で100両に満たなかったが、支援戦車であり、ゆえに本来ならIII号戦車よりも数が少ないはずのIV号戦車は、先行して約200両も配備されていた。そして暫定的に搭載した37mm砲の威力不足は問題にはならなかったが、対戦車砲と交戦した結果、第一線部隊から、装甲防御力がやや脆弱だと指摘されている。

 続く1940年4月9日の北欧侵攻でも、III号戦車は装甲がやや弱いという以外に問題を指摘されてはいない。というのも、先のポーランドも、北欧のデンマークとノルウェーの両国も、強力な対戦車砲や戦車などの保有数がごく限られた、当時としては「機甲装備二流国」だったからだ。おかげで、まだ完成の域に達していないIII号戦車も、馬脚を現さずに済んだのである。

 さらに1940年5月10日、西方戦が開始され、ドイツ軍はオランダ、ベルギー、フランスへと侵攻。ここでいよいよ、フランスとイギリスという軍事大国の機甲兵力と、がっぷりとよつに組んで戦火を交えることとなった。

 そしてスペックで見る限り、当時のすべてのドイツ戦車よりも強力なフランスのシャールB1や、同じく当時のすべてのドイツ戦車よりも重装甲を備えたイギリスのマチルダIIと対戦。火力、装甲防御力ともに劣るものの、乗員人数とその配置の有利(2018年11月21日配信:本連載第2回III号戦車の基本的な構造:参照)に加えて、乗員の実戦経験値の高さで、かろうじて優越性を保つことができた。

 それに遅ればせではあったが、開発当初に予定されていた50mm砲を搭載(2018年11月21日配信:本連載第2回III号戦車の基本的な構造:参照)したIII号戦車G型の中期型の生産が、1940年7月から始まった。だがフランス戦役には間に合わず、50mm砲も、短砲身42口径のKwK 38戦車砲だった。

 

 さて、西に振るった刀を東へと切り返したドイツ軍は1941年6月22日、満を持してソ連へと侵攻。東部戦役が始まった。しかし同戦役の緒戦で、ドイツ機甲部隊関係者が戦慄する事態が生じた。

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