纒向(まきむく)遺跡の中にある箸墓(はしはか)古墳は果たして卑弥呼の墓なのか?第3回。出土品や最新の測定法から、その謎に迫る。
 

調査の結果から、箸墓古墳は
布留0式期の前方後円墳と判明

 第11次調査は後円部周辺で初めて行われた調査である。この調査では葺石を伴った渡り堤、周濠、外堤などが確認された。渡り堤は現状で高さが周濠底より約1・3m、基底幅約4・8m、堤上面の通路幅は約2mと墳丘の大きさに比べると、やや小規模であった。葺石は東面と西面で葺き方に違いがみられた。東面は西面よりやや小型の石材を急な勾配で積み上げているが、西面は大型の石材の最も大きな面を外側へ向け、面を意識しながら緩やかな勾配を持たせて葺き上げている。この渡り堤の東・西面に周濠が確認された。第6・7次の調査成果とあわせて考えると、古墳の周囲に幅12m前後の周濠が墳丘に沿うようにあったと復元することができる。また、渡り堤の外側に盛り土によって構築された高さ約70㎝、幅15m以上の外堤状の高まりも確認された。渡り堤、外堤の盛り土内から出土した土器はいずれも布留0式期であることから、箸墓古墳は布留0式期に前方後円墳として築造を開始し、完成したことが明らかとなった。


 墳丘内は原則的には調査は行われないが、1968年に墳丘の遺構保護のため宮内庁により現状調査が、1998年9月22日に関西一円を襲った台風7号による被害箇所の復旧作業に伴って調査が行われた。


 これらの調査により、後円部の墳頂平坦面と前方部の墳頂平坦面付近に遺物が集中していることが指摘された。主な遺物として、後円部墳頂から特殊壺片、宮山型特殊器台片、特殊器台形埴輪片、二重口縁壺形埴輪片などが、前方部墳頂から二重口縁壺形埴輪片などが採集されている。特殊壺、宮山型特殊器台、特殊器台形埴輪は吉備(現在の岡山県と広島県の一部)と関わりの深い遺物である。特に特殊壺と宮山型特殊器台は弥生時代後期後半に吉備の墳墓で使用された葬送儀礼用の土器で、吉備を象徴する土器である。その土器が箸墓古墳から出土した意義は大きい。この意義については後述するが、箸墓古墳の被葬者、または前方後円墳を築造するにあたって吉備の首長が大きく関係していたことを物語っている。

《果たして卑弥呼の墓なのか?箸墓古墳の謎 第4回へつづく》